ねじの歴史~世界共通のISOねじのできるまで~

LABORATORY
OF A SCREW
ねじの研究室

ねじの歴史~世界共通のISOねじのできるまで~

サー・ジョゼフ・ウィットウォースが土木学会に、ウィットウォース方式を論文として提出した。それが、今日のようなウィットウォースねじ体系の始まりである。彼はイギリスの産業革命の一翼をになって、機械で金属ねじを実用的に切る考案をし、ねじの精度や生産能率を高めた。「ねじの進歩は文明の進歩なり」を広めた一人でもある。このねじは、イギリス製の機械と共に、世界各国に輸出され、自然的に作られた最初の国際的ねじといえる。

アメリカではウィット・ウォースねじを参考にして、ウィリアム・セラースが、フランクリン学会にアメリカねじ方式を発表した。

メートルねじは、フランスでできた。その後約4年たって、ドイツ・フランス・スイスの各代表がチューリッヒに集まり、SIねじ(System of International Meetric Screw Thread)を定めた。これが人為的に作られた最初の国際ねじだといえる。

イギリスのウィットウォースネジ、アメリカのアメリカねじ、フランスのメートルネジは、それぞれ別個の形で発達していった。しかし、第一次大戦のとき、連合軍側は、3つのねじ規格があることから、ねじの互換性のことで、軍事作戦上にがい経験をした。これが原因で、第二次大戦勃発直後、アメリカ・イギリス・カナダの三国が、軍用品に用いるねじとして、オタワで3国間のネジ協定が行われた。これがユニファイねじである。

ISO(国際標準化機構International Organization for Standardization)は発足当時、その参加国は26ヵ国であったが、今日では世界の51ヵ国が参加しわが国でも、1952年に加入した。この専門委員会は、ISO/TC1(ねじ基本)、ISO/TC2(ボルト、ナットおよび付属品)、ISO/TC3、(寸法公差およびハメアイ)をはじめISO/TC104(輸送用コンテナ)など、各産業分野におよんでおり、随時開催される。

交通機関が発達した今日、諸外国が貿易の自由化などで、どうしてもねじの国際性が必要となってきた。例えば、ある会社で機械を輸入した場合、そのたびごとにねじが違っていたのでは、まったく不便である。そこでメートル系、インチ系、2本立てのISOねじを確立してきた。世界各国はISOねじの長所を大きく認め、近年次第に採用しつつある。

現在では、ねじを使わない機械はないといわれるほど、様々な分野に普及しています。締結用ねじの分野でも、単に締結という機能に留まらない付加価値を備えたねじ。いわゆる”特殊ねじ”が続々と考案されているのです。この先、仮にねじに代わる新技術が出現したにしても、ねじでなければならない用途や使用箇所は永久になくなることはないでしょう。